2007年10月13日土曜日

偽装雇用について

2006年10月6日、朝日新聞は朝刊一面トップで、「日野自1100人偽造出向」の見出しで、東京労働局が同社を職業安定法で行政指導していたと伝えた。
実態は派遣労働者である1100人を、派遣会社と出向契約を結び、出向社員に見せかけて働かせているのは職業安定法が禁じる労働者供給事業にあたるとして、同年7月26日に文書で是正指導したというのである。出向社員として偽造された派遣社員の数は、本社工場(東京日野市)で300人、羽村工場(東京都羽村市)と新田工場(群馬県太田市)で800人の計1100人に上り、派遣会社は14社にのぼった。

労働者派遣法では、製造業の派遣労働に期間制限を設けている。少しでも人件費コストを下げたい製造メーカーからすれば、正社員を雇うより派遣社員を使ったほうが、賃金は半分以下ですむし、必要な人員調整も思うがまま。企業にとって、安く使い捨てにできる派遣社員はこのうえなく魅力的だ。そうであるだけに、かりに派遣社員が無条件で使えるとしたら、どのメーカーも正社員リストラを一挙にすすめ、製造現場にいるのは派遣社員ばかりということになりかねない。
そこで労働者派遣法は、派遣社員を受け入れる場合の制限期間を設けている。製造業においては、2004年3月の改正から07年2月までは、一つの職業の同じ業務について派遣社員を受け入れることができる期間は一年間に限定された(07年3月からは3年間)。しかも、この制限期間を超えて引き続き派遣社員を受け入れようとする場合は、派遣社員に対して「直接雇用」の申し込みを行うことを派遣先メーカーに義務づけている。派遣労働はあくまで「臨時的、一時的」というのが法の建前なのだ。

この「直接雇用」の申し込み義務を免れるために横行したのが「偽装請負」だった。御手洗冨士夫日本経団連会長が会長を務めるキャノンをはじめ、松下、東芝、日立といった日本を代表する大企業がこぞって脱法雇用に手を染めていた実態が、2006年夏以降、次々に明らかになった。

日野自動車の「偽装出向」もこの「偽装請負」と基本的には同じ目的の脱法行為だ。出向といえば、一般的には企業グループ間の技術交流や生産調整のための応援を目的におこなわれる。労働派遣以外には本業をもたない派遣会社から製造メーカーに労働者を出向させることなどありえない。それにもかかわらず、派遣社員を「出向社員」として受け入れる契約を結んでいた行為を指して、東京労働局は職業安定法に違反するとして是正指導をしたのだった。

2007年10月11日木曜日

日雇い派遣を生み出した労働者派遣法の規制緩和

労働者派遣法は1985年に成立、翌86年の施行された。
当初は、職業安定法で定める「労働者供給事業の禁止」の例外として、常用雇用の代替とならないよう、職業の専門性・労務管理の特殊性を考慮して派遣できる業務(適用対象業務)を限定してスタートした。
法律制定時の適用対象業務は13業務。半年ほどすると、政令の改正により3業務が加えられ16業務に。その後、法改正を繰り返すも適用対象業務は16業務という状態が長く続いた。
しかし労働者派遣法は、バブル経済崩壊後の規制緩和の影響をまともに受け、1996年の改正で26業務まで拡大する。さらに1999年の改正では適用対象業務に対する考え方を180度転換。ネガティブリスト方式という方法で派遣できない業務を定め、それ以外のすべての業務で派遣を可能とする完全自由化へと大きく変貌を遂げた。
労働者派遣が禁止された業務は、「建設業務」「警備業務」「港湾運送業務」「医療関係業務(一部は可)」、そして製造ラインなどの「物の製造の業務」だ。しかし「物の製造の業務」は2004年に解禁され、派遣が可能になる。
このように雇用対象業務の自由化を受けて、人材ビジネスは急速に拡大していった。

厚生労働省が発表した「労働者派遣業務の平成十七年度事業報告の集計結果」をみると、対象業務が自由化される直前の1999年度での派遣労働者数は90万人、常用換算で31万人。これが2005年度にはそれぞれ255万人、124万人に達している。

日雇い派遣業界の実態

いつでも誰でも登録ができ、仕事の情報はケータイ電話のメールに送られる-。
一見、便利な働き方のように見える日雇い派遣。しかし、その多くは重労働にもかかわらず日給6000~7000円程度。このため毎日一稼動で一ヶ月20日働いても月収で12万~13万円程度にしかならない。一日二稼動、三稼動をこなせば、20万~30万円程度になるが、それができるのは体力のある若者に限られる。しかも仕事がない期間もあるため収入は安定せず、年収300万~400万円を維持するのはかなり難しい。
とても、労働基準法で定められた「人たるに値する生活を営むための必要を充たす」働き方とは言えない。
加えて、日雇いという究極の不安定雇用。一定期間同じ派遣先で働く「定番」であっても、必要がなくなればいつでも簡単にクビを切られてしまう。6ヶ月以上同じ派遣先で働き続けたので、有給休暇を申請したらクビを切られたというケースもある。
そればかりか、強制された集合時間からの賃金が払われないうえに、遅れればペナルティとして罰金をとられる、時間外・休日の割増が支給されない、200~300円の不可解な賃金控除をされる、登録時には備品等が押し売りされる――と違法だらけだ。
まさに究極の雇用の劣化。ワーキングプア、ネットカフェ難民を生み出す温床ともいえる働かせ方だ。
こうした働かせ方を可能にしてしまったのは、規制緩和の流れを受けた1999年の労働者派遣法の「改正」による。

派遣という働き方

派遣という働き方は、本来同一であるはずの「雇う人」と「仕事を与える人」が違うという特殊な雇用形態だ。つまり、雇用契約を結び給料を払ってくれるのはAという会社だが、働く場所と仕事の指示はB社という具合である。

また、違法ではあるが、派遣された会社からさらに別の会社へ派遣されるいわゆる二重派遣が行われるケース、またさらに別の会社といったような三重派遣なども少なくない。これでは自分が誰に雇われているのか、誰が給料を払っているのかわからなくなったとしても無理はない。このような働かせ方は、中間搾取いわゆるピンハネが行われたり、雇う側の責任があいまいになるということで、職業安定法で禁止されていた。

しかし、1985年に成立した労働者派遣法は、この職業安定法で禁止されていた労働者供給事業を労働者派遣に限りその規制から除外し、これを認めた法律である。当初は専門性の高い職種に限定されていたが、度重なる改正で今ではいくつかの禁止対象業務以外は労働者派遣が認められるようになった。

このような流れのなかで広がったのが、日雇い派遣だ。

労働者派遣は、そもそも臨時的・一時的に利用されるものであって、人件費コストの削減のために利用されるべきものではない。しかし、実際のところ企業は人件費コスト削減のために労働者派遣を利用しているのが現実だ。

また、使用者の責任を回避するのにも非常に使い勝手がいい。直接雇うと社会保険などを会社が負担しなければならないし、なによりクビにするときの手続きが面倒だからだ。その使い勝手のいい究極の形が、日雇い派遣なのだ。

2007年7月14日土曜日

他者からの承認について

『倫理としてのナショナリズム』佐伯啓思(NTT出版)

今日、人が求めているのは、決してコスト競争に勝ったグローバルな大量生産商品などではないし、「価格破壊」された商品を買い込むことでもない。

ゆとりをもった、他者と共有できる時間、共同の活動への参加、かけがえのない価値を実現するための共同作業、そして、こうした信頼できる他者との交わりの中で得られる敬意や承認、こうしたものである。

他者から承認を得、是認され、そしてできれば敬意を払われること、およそ「善き生」はこうした条件を離れてはありえない。独我論的で主観主義的自由の中には、「善き生」はありえない。 「善き生」は信頼できる他者との共同の活動の中からしか出てこない

・・・今日、重要なことは、他者からの確かな是認を得ることである。 そして、われわれの社会は、様々なレベルでの「共同のつながり」を持っている。 家族や友人の集まり、自発的な集団、クラブ、地域コミュニティ、企業組織、学校、NPOネットワーク、宗教的集まり、そして国家である。

こうした、多様な次元において、開かれた集団のもつ共有価値があり、諸個人は、この価値にコミットすることによって多様な「共同のつながり」に属している。これらの「共同のつながり」へ参加できる機会を確保し、その場を設定し、そこで一定の役割を果すことで、敬意をもって他者と交わることができる。

消費資本主義がもたらす「働きすぎ」

『働きすぎの時代』森岡孝二(岩波新書)より

ショアは『働きすぎのアメリカ人』において、アメリカにおける長時間労働の実態と原因を明らかにして、1930年代以来長らく忘れられてきた労働時間論議に火をつけた。ショアによれば、アメリカ人が働きすぎになった背景には、「働きすぎと浪費の悪循環」ともいうべき「ワーク・アンド・スペンド・サイクル」(work and spend cycle)がある。

ショアが労働に対応する消費の面からこのサイクルを論ずるために著したのが『浪費するアメリカ人』である。アメリカ社会に出現した「新しい消費主義」を主題にしたこの本では彼女は現代を「消費社会」あるいは「消費資本主義」ととらえ、その原動力を消費の競争的性質に求めている。

彼女が説いているように、資本主義の発展にともない勤労大衆の所得水準がある程度向上し、中流階級を中心に大衆購買力が形成されるようになると、消費を自己目的とする浪費的なライフスタイルが大衆的減少となり、消費資本主義が誕生する。このような意味での消費資本主義はアメリカでは1920年代に、日本では1960年代に現れた。

ショアの説くところでは、人々は消費において、他人と比べ、他人と張り合い、他人に誇示する。
消費のこうした側面については、金持ちの「見せびらかし消費」(衒示的消費)を論じたヴェブレンの『有閑階級の理論』でも取り上げられていた。

・・・こういう消費環境においては、人びとは、質素な生活をもってよしとせず、欲しいものをできるだけ手に入れるためには、仕事はきつくても、労働時間は長くても、残業や掛け持ち仕事をしてでも、できるだけ多くの収入を得ようとする。

ニュー・エコノミー「勝利の代償」

『働きすぎの時代』森岡孝二(岩波新書)より

ニュー・エコノミーは、人々を長時間労働に駆り立てる要因に満ちている。
ライシュによれば、ニュー・エコノミーは、すさまじいスピードの技術革新のもとで不安定性と激しい競争を前提にしている。消費者をつかむ鍵はスピードにある。人々は顧客を維持するためにも、スピードについていくためにも、コストを引き下げるためにも、より長時間、よりハードに、そしてパートや派遣などのより不安定な身分で働くように仕向けられる。
より良いものを、より速く、より安く手に入れるための消費者の競争も、同様の理由で労働の長時間化と雇用の不安定化を引き起こしている。


『成長経済の終焉』佐伯啓思(ダイヤモンド社)より

・・・「すばらしい取引の時代」ではないか、とライシュは述べる。だが、その代償は何か。
まず雇用が不安定となり、貧富の差が拡大した。特に売り込むべき何も持たないものは、世界の低賃金労働と競争するために、以前より賃金は下がり、以前の生活を維持するためにはいっそう働かなくてはならなくなった。
そして、彼らよりはるかによい報酬を得ている大卒の知的専門家もさらに忙しくなった。彼らは絶え間ない技術の革新と市場の開拓に終われ、ひとたびこのゲームから降りるや否や、もはや再び以前の地位や所得を手に入れることはできないからである。
かくしてアメリカ人の平均労働時間は、いまやヨーロッパ人を年間で350時間も上回り、かの「働きすぎ」の日本人をも上回っている。・・・

で、その結果どうなったか。家族が共に過ごす時間がなくなってゆく。子どもたちは大人とは異なったルールで彼らだけの世界を作る。一つの家族なり社会のモラルや価値が失われてゆく。さらに地域コミュニティが崩壊してゆく。アメリカのよき伝統のひとつであった様々な人々が入り交じり、ボランティア活動が可能であった地域のコミュニティが解体してゆく。

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我々が利便性を求めたすぎたあまり、社会が「ゆとり」を失ってしまったと多くの人が感じているのではないでしょうか。ファストなものを求める方向に行き過ぎた社会を少し元に戻そう、という動きが強まっているように感じます。
「消費者」はすなわち「労働者」でもあります。神経症的に便利さやスピードを求めると、結局それは自分自身の首を締めることにつながってしますはず。
本当の豊かさとは何か。便利さとゆとりとのバランス均衡点はどこにあるのか。
その答えを我々は探してゆかねばなりません。

ニューエコノミーの到来

『成長経済の終焉』佐伯啓思(ダイヤモンド社)より

90年代に、先進国経済は、製造業を中心とした大量生産、大量販売から、消費者の欲求やニーズにいち早く反応する大競争の時代に入った。

この大競争においては、ITをはじめとする新たな技術展開と、生産者と消費者を結びつける情報の確保や操作が決定的な要素となる。大量生産、大量販売のもとにおいては、人々はおおよそ画一的なもので満足し、標準的商品を買い込んで「人並み」の生活をすることが目標だった。この規格大量生産経済では、企業は、安定した市場のもとで予測可能な需要に対応すればよい。大きなリスクもなければ、さほどの競争も求められない。

しかし、今日、標準的生活はほとんど実現してしまったのである。生活の基本物質はひとわたり手に入った。だが、この「豊かな社会」において、人々は、もっと良いものを、もっと安いものを、もっとサービスの行き届いたものを求めるようになる。
こうして企業は、絶え間ない技術革新と新たな市場開拓へ向けてとどまることのない競争へ投げ込まれる。「より良く、より安く、より早く」が企業の生死を分ける。

こうして、ポスト大量消費の時代は、いっそうの便利さと安価さを求める消費者の貪欲なまでの欲望に振り回されることとなった。
この欲望へ向けて、情報テクノロジー、コミュニケーション技術、輸送手段における技術的な革新が結合して、経済の質を変えてしまった。それは、かつてのように、すでにわかりきった商品の生産において、生産規模の拡大によって利益を得る規模の経済ではない。
そうではなく、できるだけすばやく製品やサーヴィスを改善し開拓できる販売者、消費者のわずかな嗜好の変化をすばやく掴み取るマーケッター、あるいは、ブランド・イメージを生み出すことで消費者を満足させることのできる生産者、こうした者こそが利益を手にすることができるのである。

要するに、「工業社会」から「ポスト工業社会」への移行だ。
ライシュは、この「ポスト工業社会」を「ニュー・エコノミー」と呼んでいる。

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『高学歴ノーリターン』中野雅至(光文社)より

ライシュは、グローバルエコノミーの時代は、「大量生産から多品種少量生産の時代に移るのであり、企業規模などに関係なく誰もが市場にアクセスできる時代である」と指摘した。

つまり、グローバルエコノミーの時代には企業規模size of businessよりは個人の能力personal abilityが大きくものをいう、というわけだ。そして、このような経済体制を前提として、「変人」unique personと「精神分析家」psycho-analystがグローバルエコノミー時代の勝利者であると述べた。

変人とはアーティスト、発明者、デザイナー、エンジニア、金融のエキスパート、作家など「特定の媒体において新しい可能性を見つける能力を持ち、そしてその可能性を深め、発展させることを喜びとするような人たち」だ。

他方、「精神分析家」とは、営業担当者、タレントエージェント、需要開拓者、流行観察者、プロデューサー、コンサルタントなど「他の人々が何を欲しているか、何を見たいか、何を経験したいかについての市場の可能性を知ることができ、そういった機会をどのように生み出すかを理解している人」のことだ。

・・・ライシュの考え方が新鮮なのは、彼が〝人間の能力〝そのものに注目しているからだ。彼は「どの職業が儲かる」「どの業界が勝ち組」とは言ってない。どの職業にもどの業界にも、「勝ち組」と「負け組」がいることを前提としたうえで、変人のように創造性creative abilityがあり、精神分析家のように市場や消費者のニーズを分析できる人間こそが「勝者」になると述べているのだ。

<共同性>から<共生>へ

『人生の教科書「よのなか」』藤原和博・宮台真司(筑摩書房)より

先に述べたように、近代が成熟期にいたると、「意味から強度へ」「物語から体感へ」という流れが生じることは避けられません。それはハレとケ、非日常と日常を反復することでようやく生きのびてきた人類の、本来の生き方でもあります。

元来、性も暴力も、意味や物語に収まりきれない濃密な体感を与えてくれます。
人間が「性的衝動」や「暴力恐怖」を持つように本能的にプログラムされている以上、「意味から強度へ」という流れの中で、性や暴力が濃密さのみなもととして見出されてしまうことは、実は、どうしようもないことなのです。

だとすれば、いったい何ができるのでしょう。答えは、「意味から強度へ」「物語から体感へ」という流れが、「共に生きること」「社会の存続」と両立するような条件を探る作業です。
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成熟社会とはそもそも何が幸いなのか、何が不幸なのかが、人それぞれに異なる社会のことです。
何に意味があり、何に意味がないのかが、人それぞれに異なる社会のことです。何が意味的に正しく、何が正しくないのかが、人それぞれに異なる社会のことです。
そういう社会では、「これさえあればおまえは幸せだ」と押しつけずに、「共に生きる」という枠の中で「自分だけの幸せ」を互いに模索することが、責任ある生き方だと考えられます。

とするならば、たとえ一部の人たちにとって「道徳的な正しさ」から逸脱しているように見えても、「共に生きる」ことを侵害しない強度追求・体感追求は許されてもいいはずです。共に生きることを侵害しない性、共に生きることを侵害しないクスリ、共に生きることを侵害しない暴力は、たとえ奇妙に見えたとしても、許されるべきではないでしょうか。

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『世紀末の作法』宮台真司(リクルート ダ・ヴィンチ編集部発行)より


「異質な他者による否定」を前提としない人間観・社会観は、複雑化しつつある日本社会でさまざまな軋轢を生んでいる。この軋轢が「共同性喪失」のせいだと考える伝統主義者は、伝統文化や歴史による国家大の「共同性回復」を声高に叫ぶ。だが既に述べたように、回復されるべき伝統が恣意的できわめていかがわしい。

私は、そうしたいかがわしい「共同性」の回復は不可能なばかりか、必要でさえもないと考えている。むしろ必要になるのは、異質な他者あるいは小さな共同体同士が「共生」するための透明なルールではないか。

社会学はかねて二種類の秩序を考えてきた。
一つは「共同体」的秩序。そこでは人々が同じ感じ方や振る舞いをするので明示的ルールは必要ない。
・・・ところがもう一つ「社会」的な秩序がある。「社会」という観念は、皆が同じものを同じように体験するという自明性が失われるフランス革命期に生まれた。
放っておくと殺し合いをしかねない、異なる神を奉じ、別の利害を持つ人が、明示的ルール(宗教的寛容など)を共有し「共生」する「社会」。

「共同性」から「共生」へ。

2007年7月9日月曜日

「意味」と「強度」について

『人生の教科書「よのなか」』藤原和博・宮台真司(筑摩書房)より

・・・男は以前から、天下国家のため、立身出世のため、世のため人のために生きることになっていました。意味追求的な生き方が推奨されていました。でも右肩上がりの近代過渡期(重化学工業が急展開し、都市化が進んでいく時期)が終わって、近代成熟期(成長の限界が明らかになり、都市の中でサービス産業が重要になる時期)になると、そういう生き方は難しくなってきます。

頑張れば、国も地域も会社も家族も自分も豊かになるという時代は終わりました。これ以上物が豊かになる(ために頑張る)ことよりも、コミュニケーションを今ここで楽しめるような生き方が重要になってきます。
もともと女の子は、天下国家や立身出世から見放されていたこともあって、「今ここ」のコミュニケーションを楽しんで生きることの達人です。ところが男の子は「意味のゲタ」の歯が折れて、右往左往せずにいられません。

「意味」の充実とは別の種類の濃密さを「強度」と言います。これはポスト構造主義という哲学の概念で、フランス語のアンタンシテ、英語でいうとインテンシティ(intensity)の訳語です。「密度」とか「濃密さ」と訳したほうが分かりやすいかもしれません。
もっと簡単に言えば、意味とは<物語>、強度とは<体感>に相当しています。なぜなら、<物語>は過去から未来につながる時間の展開が重要ですが、<体感>は「今ここ」が重要だからです。

物の豊かさにあふれる近代社会は、人々が「意味」を求めて生きることによって出来上がりました。別の言い方をすれば、近代社会は、人々に「意味」を追求させることで、社会が必要とする振る舞いを、生み出してきました。勤勉さには意味がある。成功することには意味がある。国や会社のために生きることには意味がある・・・。若い人たちが「いい学校・いい会社・いい人生」という物語に動機づけられるのも、そういうことなのです。

でも、近代社会をつくりあげるとき(近代過渡期)に必要だったさまざまな「頑張り」は、いったん近代社会ができあがると(近代成熟期)いらなくなるばかりか、場合によっては有害になります。

昔だったら、出世競争から離脱して、自分の生活を楽しもうとする人は、「脱落者」だと言われました。今でも大人の一部はそう言います。でも、統計を見ると、若い人であればあるほど、いちばん大切なのは私生活で、仕事や会社は二の次だと答えるようになっています。むしろ今では逆に、自分の生活を「今ここで」楽しめない人間たち、強度や体感にアクセスできるチャンスをもたない人間たちこそが、「脱落者」に見えるようになりつつあります。

2007年7月8日日曜日

アメリカの就職活動について

個人的に「アメリカの就活ってどんな風にやってるんだろう?」って前から思っていたのですが、その答えをたまたまWEB上で見つけました。こちら↓
http://www.junglecity.com/pro/recruit/26.htm

・・・一方、アメリカでは "即戦力" であることが重視されますから、実務経験がまったくない新卒者を手厚く迎えることはありません。アメリカで新卒者が卒業後すぐに正社員として迎えられる場合もありますが、多くの場合、在学中にインターンシップやパート・タイム・ジョブ、または契約社員という形で実務経験を積むことによって、正社員のポジションを獲得しています。

なるほど。
数年で転職を繰り返すアメリカ人はどうやってまずはじめに仕事の技術を身につけるのだろう?企業側はそのようにめまぐるしく転入を繰り返す労働者に対してどのように仕事のノウハウを教えているのだろう?というのが個人的な疑問だったのですが、アメリカではまず就職前にインターンシップ、パート・タイム・ジョブ、契約社員などの形態で実務経験を積んでいるものなのですね。

日本のように3回生の冬になったから、特にやりたい仕事なんてないけど、まわりが皆やっているから僕も私も就職活動しなくちゃ、なんて感じならないのもいいなぁと思います。
これからはもっと個々人のペースで就職時期を選べるようなシステムに日本もなると良いなぁ。

バタイユの「蕩尽」論

私は以前のブログで成熟社会とは「過剰」な社会である、と書きました。 この「過剰」をいかに〝幸福〟に処理するか、これが成熟社会に課せられた課題です。

「過剰」の処理方法といえば、フランスの思想家バタイユ(1897-1962)の「蕩尽」論に触れないわけにはいきません。

バタイユによれば、人間が労働するのは単に生活に必要な物を作り出すためではなく、そこには過剰に生産した物を破壊し消費しようとする欲求が潜んでいます。そうした破壊と消費の大々的な形態が非日常としての「祝祭」です。

北米北西岸のネイティブ・アメリカンの間には、冬の「祝祭」時に行われるポトラッチと呼ばれる慣習があります。ポトラッチに参加する人々はお互いの力、富、気前の良さを誇示すべく、競って大量の贈り物をし合う。エスカレートしていくと、お互いの目の前で〝贈り物〟を次々と〝無駄〟に破壊してみせる。
我々はポトラッチのような「祝祭」において、過剰となった物を大量破壊すべく、日々の生産と蓄積に勤しんでいる、と見ることもできます。

現代に生きる我々はどのような非日常的な「祝祭」の場で、どのように「過剰なもの」を「蕩尽」できるのでしょうか。それこそがモノに溢れた社会に生きる我々の真の「豊かさ」を規定する重要なポイントとなるはずです。

最も有効なニート対策は若手雇用のミスマッチ解消

最も有効なニート対策は若手雇用のミスマッチ解消 http://www.dai-ichi-life.co.jp/news/pdf/nr05_16.pdf

第一生命研究所によって2005年6月に発表されたレポートです。
このレポートでは、若者がニート化する最大の要因は「雇用環境の悪化」であり、特に15~24歳の若年層で「雇用のミスマッチ問題」が深刻化しているとしています。そこで今後ニートの出現を抑制するためには政府が若年層をターゲットとしたミクロ的雇用対策を打つことが必要である、と同レポートは述べています。

「雇用のミスマッチ」とは何でしょうか?
それはすなわち企業が若者に対して求める「こんな人材が欲しい」という思いと、若者が企業に対して求める「こんな仕事(働き方)ができる就職口が欲しい」という思いにズレが生じている、ということです。このズレ=ミスマッチをいかにして解消していくべきなのか。
その一つの方策はやはり「教育」にあるでしょう。

『ニートって言うな!』(光文社新書)のなかで本田由紀氏は「学校経由の就職」を中軸とする若者雇用市場の見直しが必要であると訴えています。

(以下、引用)
私の考えをひとことで言うならば、「学校経由の就職」というルートだけが特権的な有利さを味わえるような状況を変革するとともに、すべての若者が厳しい労働市場環境を生き延びてゆくための支えとなる、「職業的意義」の高い学校教育を作り上げていくことが不可欠だということです。

それは、労働需要側である企業と、若者を労働市場に向けて送り出す学校教育機関との関係性を変えてゆくことに他なりません。つまり、「教育から仕事への移行」のプロセスを構築しなおす、ということです。それが即座に実現しえないものであっても、長期的に腰をすえて取り組んでゆく必要があるのです。

仏の「週35時間労働」見直しへ 国民の多くは反対

仏の「週35時間労働」見直しへ 国民の多くは反対http://j.peopledaily.com.cn/2005/02/05/jp20050205_47465.html


先進国のなかでは労働時間が最短水準と言われているフランスでも「週35時間労働」を見直す動きが強まっているようです。

フランスの時短の歴史は古く、1936年にはフランスの人民戦線内閣のもとで週40時間と2週間の年次有給休暇を定めた「バカンス法」が成立。その後、1998年6月の「労働時間短縮に関する方向付けとインセンティブ付与のための法」と、2005年1月の「交渉にもとづく労働時間の短縮に関する法」による労働法典の改正で、週35時間労働制が導入されました。

しかし近年ではこの週35時間労働制が仏企業の国際競争力を奪っているとして、与党の民衆運動連合(UMP)が労働時間の延長に道を開く法案を議会に提出し、審議が始まりました。法案の内容は、「週35時間」の枠組みは保つものの、実質的に超過勤務を含めて「週40時間」を可能にするというもの。また年間180時間の時間外労働の上限を延ばし、年220時間まで認めるものとしています。
これに対し、時短を進めてきた野党の社会党や労組は「失業者が増えかねない」と猛反発。すっかり「時短」に慣れたフランス国民も多くが反対しているとのこと。

グローバリゼーションの波が押し寄せるなか、週35時間労働制を保持しながら国際的な経済競争で生き残っていく道はあるのか?
今後のフランス経済体制に要注目です。

成熟社会への移行

『こころ「真」論』高岡健・宮台真司(ウェイツ)より

◆「成熟社会」についての宮台真司の解説
近代社会は、ある時期を境に「近代成熟期」「成熟社会」に変わります。人文系では「モダンからポストモダンへ」と言います 。
移行の境目は「モノの豊かさ」の達成です。具体的には、耐久消費財の新規需要が一巡し、普及率が頭打ちになることを指標にします。
「モノの豊かさ」が達成されると、そこから先、何が幸いなのかが人それぞれになります。その結果、消費動機も、宗教動機も、犯罪動機も不透明になります。この不透明さ、すなわち他人の心が見通せないがゆえに、「心の時代」と呼ばれるようになります。
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戦後日本は西側の資本主義経済体制に組み込まれ、順調に経済成長を続けます。経済成長の時代においては経済的に豊かになることがイコール幸せになることである、という大まかな幸福のイメージを国民が共通に描くことができました。
1960年前後には「テレビ、洗濯機、冷蔵庫」が「三種の神器」であり、1970年前後には「自動車(マイカー)、カラーテレビ、クーラー」の「3C」が国民にとっての共通の「欲望」となります。
しかし、2000年に入った現代では爆発的なヒット商品=世代を越えて誰もが欲しがるモノ、が生まれにくくなりました。たとえヒット商品が生まれても、それはごく限られた範囲の人々の間でのヒット商品でしかない。
それはすなわち人々の欲望のかたちが多様化しているから。
人々の欲望のかたちが多様化する時代、それがまさに「成熟社会の時代」なのです。

労働における「疎外」とは何か

マルクスの生み出した「疎外」という概念は、今日の労働市場を考えるうえで未だに有効なツールである。現代の労働者から「希望」を奪っているもの、それがまさに「疎外」だからである。
「モノの豊かさ」が達成された成熟社会において、「働くこと」は単に生活費を稼ぐための手段であるだけでなく、我々のアイディンティティや「生きがい」を形成する重要なツールである。
しかし「労働」がそのようなツールとしての役割を十分に果さず、ただの無意味な苦役であると感じられてしまうとき、そこに「未来への希望」が見いだされないとき、人々は労働から「疎外」される。
これは現在多くのフリーターや派遣労働者が陥っている苦しみに満ちた状況である。
このような状況をいかに乗り越え、すべてのタイプの労働者にとって幸福な労働環境を作り出せるか、これが現代の日本にとって課せられた課題なのである。
以下に仲正昌樹による「疎外」についての解説を引用しておく。


仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想』(NHKブックス)より
「疎外」とは、若きマルクスがパリ滞在中に執筆した『経済学・哲学草稿』の第一草稿に属する「疎外された労働」に出てくる概念である。
マルクスにとって、人間の類型本質は「労働」にあるが、アダム・スミス以来の国民経済学が前提にしていた資本主義的生産体制においては、労働者が自らの類型本質を投入して生み出したはずの「労働生産物=商品」が、労働者に対して「疎遠frend」なもの(=他人のもの)として現われてくる。具体的には、労働の結果が資本家と言う他者によって搾取されるということだ。
それによって、労働者は自己の類型本質である「労働」から「疎外」されることになるし、労働者を使用して「商品」を手に入れている資本家っも、自ら「労働」していないという意味で、やはり類型本質から疎外されている、と言える。
結局、資本主義的生産体制が続く限り、すべての人が類型本質から疎外されることになる。

2007年6月25日月曜日

成熟社会の「過剰」

成熟社会とは「過剰な社会」である。
われわれは「過剰な社会」の中に生きている。

私たちにとって「物質的な豊かさ」は基本的に達成されてしまっている。それゆえ、ただ会社に勤めて日々の生活費を稼ぎ、家族を養うだけでは、われわれはどこか「物足りない」。それだけではわれわれにとっての「過剰さ」が消費されつくさないからである。

かつてまだ日本が貧しかった時代には「経済的に豊かになること」がすなわち「幸福」のイメージと結びついていた。しかし現代ではただ「経済的に豊かになること」だけでは、それは必ずしも人生の「幸福」を約束してはくれない。

日々の生活からはみ出した「過剰さ」をいかに豊かに生きるか。 このことによってその人が真に「幸福であるかどうか」が決まってくるのである。

2007年6月24日日曜日

90年代におけるオランダモデルの成功

『日本のニート・世界のフリーター』白川一郎より

オランダは良好な雇用情勢で有名である。90年代には「オランダの奇跡」として、その良好な経済パフォーマンスが、世界中に喧伝された。

2004年におけるオランダの失業率は4.6%であり、ヨーロッパ諸国の平均(9.2%)、OECD加盟国平均(6.9%)に比べ、良好なパフォーマンスを示している。若者(15~24歳)失業率も、全体の失業率よりは高いものの、8.0%と他のヨーロッパ諸国に比べ格段に低い。

オランダはかつて「オランダ病」と揶揄される経済停滞・高失業の病に悩まされていた。80年代初めのことである。(この経済不況の詳細についてはここでは割愛する)この経済停滞を打破するために、「ワッセナ合意」と呼ばれる政策が採られた。ワッセナとはオランダの主要都市ハーグの隣に位置する港町であり、ここに経営者・労働組合・政治家などが非公式に集まって経済再生の策を練ったのである。
オランダ経済の再生には、国際競争力をつけることが必要だが、その具体的方針として「労働組合が賃金抑制を受け入れる」「政治家は財政赤字を削減して減税を実施する」「経営者は、時短によって雇用を創出する」という三者の合意がなされた。

一般的には、労組が賃金抑制を受け入れたことによって、労働分配率(生産活動が生み出した付加価値のうち、どれだけ人件費に向けられたを示す割合)が減少し、企業価値が高まったことで、オランダ企業が国際競争力を取り戻し、経済が再生したという説明がなされている。これが他の先進諸国が経済停滞に悩む中で、90年代にオランダ経済がひとり気を吐いた背景である、と言われている。当時、オランダモデルとか「ポルダーモデル」と称されたのは、このような状況である。

労働組合の力が強い国ほど失業率は多い、とよく言われるが、オランダモデルのようにときには労働組合が賃金抑制を受け入れることで、失業率は減少し、かえってその方が労働者全体にとってはプラスとなりえることがある、という教訓ですね。

日本が参考にすべきオランダの雇用モデル

『日本のニート・世界のフリーター』白川一郎より

非正規雇用の増加傾向が今後も変わらないとすれば、政策課題として重要なことは、非正規雇用と正規雇用との間の雇用条件の均等化を図っていくことである。第二章で詳述したオランドの政策措置は、日本にとって参考になると思われる。オランダでは、法律によって、正規雇用と非正規雇用の雇用条件における差別を明確に禁止し、企業が差別をしないための仕組みを作り上げている。

均等待遇の実現は、オランダのみならず、実はヨーロッパ全体の政策課題となっている。97年にEUにおいて採択された「パートタイム労働に関する指令」によれば、労働時間の違いによって、パートタイム労働者とフルタイム労働者の待遇を区別してはいけないことになっている。待遇上の差異とは、職場の安全・衛星、労働環境、報酬、休日手当、解雇手当、退職金などである。ベルギー、英国を除いて、デンマーク・ドイツ・ギリシャ・スペイン・フランス・アイルランド・オランダ・オーストリア・スウェーデンがすでに2000年の時点で均等化措置の導入を終了している。

オランダでもそうだが、ヨーロッパ諸国でパート労働が急速に増加している背景の一つに、家庭生活と働くこととの両立がある。ヨーロッパにおけるパート労働の浸透は、かつてはワークシェアリングの促進という意味合いが強かったが、最近は「職業と家庭生活の両立を図る」という観点が重視されている。

・・・
「職業と家庭生活の両立が図れる」「男女雇用機会の均等を促進する」「失業率を減らす」「個々人の生活形態に沿った働き方が選択できる」ワークシェアリング制度とは素晴らしいなぁ、どうして日本でも導入しようとしないんだろう?と僕などは考えてしまうわけですが。
いつか日本もオランダのような働き方ができる国になると良いなぁ。。

日本型ニートと英国型ニートの違いについて

内田樹は『下流志向』のなかで、英国型ニートと日本型ニートの違いについて次のように述べています。

まずは英国型ニートについて。英国は典型的な階級社会であり、下層階級の人たちは就学機会や職業訓練機会そのものについてハンディを負っている。学習意欲はあるが社会的上昇の機会を奪われている若者がいる。フランスも同様で、フランスは移民を大量に受け入れている社会であるため、移民の子どもが教育機会や文化資本から構造的に遠ざけられる傾向にある。すなわち、ヨーロッパのニートは階層化の一つの症状であると言える。本人に社会的上昇の意思があっても機会が与えられない
これに対し、日本型ニートは社会的上昇の機会が提供されているにもかかわらず、若者が自主的にその機会を放棄している点に特徴がある。すなわち「自己決定」する若者たちの一つの病態として考察されるべきものであるといえる。

「自らの意思で知識や技術を身につけることを拒否して、下層降下していくという子どもが出現したのは、もしかすると世界史上初めてのことかもしれない。」と内田氏は述べています。なるほど。

2007年6月17日日曜日

ロハス(LOHAS)とは?

LOHAS(ロハス)とは
Lifestyles Of Health And Sustainability
という英語の略称です。
「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」という意味です。

ロハスなライフスタイルとは、「安ければいい」「効率がよければいい」という従来型の選択基準ではなく、「それは自分や他人のカラダに悪い影響を与えないものか?」「それは地球環境にとってマイナスにならないものか?」といった選択基準から消費や行動を決定していくような生活様式を意味します。
具体的には、「オーガニックフード」「地産地消」「環境保護運動」「フェアトレード」「リサイクル」などがロハス的な行動様式のキーワードとなります。

ロハスとよく似た概念にスローライフがあります。
スローライフとは読んで字の如く「ゆっくりと生活すること」という意味。
元々はファストフードに対抗してイタリアで始まった「スローフード(丁寧に調理された食べ物)」を起源として、さらにライフスタイル全体を「効率性と合理性だけを追い求めるのではなく、ゆったりとして文化や暮らしを大切にしよう」という意味合いにまで広げられた概念です。

ロハスとスローフードは多くのコンセプトを共有しており、実際、この二つの言葉はほとんどその違いを区別されずに使われてる場面をよく見かけます。
しかし、本来的な意味合いから言えば、「ロハス」と「スローライフ」は似て非なる概念です。
ではその違いはどこにあるのか。

日本においてロハスを積極的に特集してきた月刊誌『ソトコト』の2007年3月号の記事を見てみましょう。

この記事の中で「スローライフ」は「暮らしをスローダウンさせることであり、あくせく働くことをやめ、緑豊かな郊外でのんびり時間を過ごす」イメージであると紹介されています。
しかし、都会に暮らし、忙しい毎日を送っている人々からすれば「とてもそんなのんびりした生活を送る余裕はないよ。都会の利便性を捨てるわけにもいかないし」ということになってしまい、「スローライフ」は身近に実践することが難しい生活様式であるということになってしまいます。

それに対しロハスは、「『ファスト』な暮らしでも無理なく、楽しく、健康かつ長生きする『スロー』を持ち込むこと。それが『ロハス』の目指すライフスタイルだ」と紹介されています。
たとえばスローの対極にあるかのような、ハイテクやファストなものを、自然やスローな時間と「つながる」手段として活用すること、をこの記事は提案しています。

具体的には、燃料電池車(ハイブリッド・カー)の開発に取り組むトヨタ自動車や、ハイテクと環境を融合させた都市計画を構想する松下電器産業や、自然に優しいエネルギーを用いた住環境作りに取り組む東京電力の担当者が、この記事では紹介されています。

私は日本が志すべき方向性はこのような「ハイテクとスローを融合させたライフスタイル」しかあり得ないと考えています。
我々はイタリアのような「家族と地元の自然を密着的に愛好する」ローカリティをもはや十分に持ってはいません。代わりに日本が他の先進諸国に先駆けて有しているのは、過度に発達したハイテクノロジーとものつくりへのノウハウです。
この長所を生かしながら、豊かな自然と安定した人間関係の再築を志すこと、これこそが成熟社会日本の目指すべき姿です。

戦後60年間の日本はいわばスローライフがその拠り所とするような地域共同体を自ら破壊し続けてきたようなものです。その代わりに、我々は物質的な豊かさ、地域的なしがらみを逃れた自由、日々を便利で快適に過ごすためのハイテク機能、などを手に入れてきました。
そのような近代的文明のもたらす豊かさが行過ぎたために、今度は逆に前近代的なローカリティの温かさを求めようとしたのが「ロハス」や「スローフード」の動きです。

われわれは近代文明によって手に入れた利便性を元に、イタリアの地域共同体に相当するような「豊かな住環境」を再構築していかねばなりません。
そのようにして構築された住環境は、たとえかつての地域共同体に似せて作られたとしても、あくまで人工的に意識的に作り出された「似て非なるもの」です。しかしそれで構わないのです。私たちに残されたのはそのような手段でしかないのですから。

このように意識的に我々にとって快適な住環境を構築しようとする試みを「再帰的近代性」というキーワードで説明することができます。 
「再帰的に」われわれがロハス的に生活する環境を作り出していくこと。
これこそが、先進国日本が率先して切り開いていくべき道なのです。

世界で1番幸せな国はデンマーク、日本は90位。

世界で1番幸せな国はデンマーク 日本は90位
University of Leicester Produces the first ever World Map of Happiness

世界で1番幸せな国はデンマーク、1番不幸せなのはアフリカのブルンジ。

英国レスター大学の社会心理学分析の専門家、ホワイト教授が28日発表した研究報告でこのような結果が示された。
イギリスのシンクタンクのデータをベースに、約8万人に聞き取り調査を行った各種国際機関(ユネスコ、CIA、WHOなど)の発表済み報告書(100種以上)を分析。独自方法で計算した上で各国の「国民の幸福度」を順位付けした(※計算方法は非公表)。

この調査によると、「国民の幸福度」ランキング・ベスト10 は以下の通り。

1位:デンマーク

2位:スイス連邦

3位:オーストリア共和国

4位:アイスランド共和国

5位:バハマ国

6位:フィンランド共和国

7位:スウェーデン王国

8位:ブータン王国

9位:ブルネイ・ダルサラーム国

10位:カナダ

この順位を見ると、いわゆる「先進国」がほとんど上位にいないことに気づく。その代わりに上位を占めるのは福祉政策の充実で知られる北欧の国々である。

では「先進諸国」がランキングのどの位置にいるのか確認してみよう。

23位:アメリカ合衆国

35位:ドイツ連邦共和国

41位:イギリス

62位:フランス共和国

82位:中華人民共和国

90位 日本

なんと日本は90位である。GDPがアメリカに次ぐ第二位である経済大国の幸せ度がこれほどまでに低いとはいったいどういうことだろうか?
今後の日本社会のあるべき姿を考えるうえでも、この研究報告が示唆するところは大きいのではないだろうか。

「新社会人の飲酒意識と仕事観」に関する意識調査結果

「新社会人の飲酒意識と仕事観」に関する意識調査結果
http://www.kirin.co.jp/company/news/13/060403_2.html
「KIRIN」のWEBサイトより。

【仕事観について】
(1)「あなたの仕事観についてあてはまるものは?」(複数回答)
⇒昨年トップであった「仮に転職してもやりたい仕事をしたい」(41%)は大幅にダウンし、「入社が決まっている会社でずっと働きたい」(47%)がトップ。

(2)「起業意向はありますか?」(単一回答)
⇒全体で、「全くしたいと思わない」(37%)「興味はあるがしたいと思わない」(25%)などをあわせ、6割強が否定的。

新社会人においてすら、「入社が決まっている会社でずっと働きたい」が47%でほぼ半数を占めています。やはり、日本人の雇用意識はむしろ保守化していると言えるのではないでしょうか。
(「起業意識」の低下については、2005年におけるライブドア社長・ホリエモンや村上ファンド社長・村上世彰の逮捕劇がもたらした影響が少なくないものと思われる)

仕事に関わる重要項目についての意識調査

仕事に関わる重要項目についての意識調査
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3700.html

「Honkawa Data Tribune 社会実情データ図録」より
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html

このサイトはあらゆる社会統計データが無秩序に詰め込まれていて、見ていて飽きません。「ミス・ユニバース優勝者出身国ランキング」とか「家庭の献立メニュー」とか「パチンコホールの収入額の推移」とか。

「仕事に関わる重要項目についての意識調査」について。
この調査結果を見ると、労働者である国民の意識が一言で言えば「年収の増加」から「雇用の安定」へと移り変わっている様が分かります。すなわち、今日の日本人の就業意識において最も重要なのは「収入」でも「仕事のやりがい」でも「職場環境の快適さ」でもなく、「雇用の安定」であるということです。
高校生の「将来なりたい職業」ランキング1位が「公務員」である、という結果がこれを裏付けています。
時代的に少しずつ変動しているとは言え、日本人は安定した職場で長期的に働くことを志向する傾向がまだまだ強いということでしょう。これは、転職を繰り返しながらキャリアアップを図ったり、独立して事業を始め億万長者を目指すことが成功のモデルとされるアメリカの雇用形態とは対象的なモデルであると言うことができます。

中国人の仕事意識 -世代間のギャップが見え隠れ-

中国人の仕事意識 -世代間のギャップが見え隠れ-
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/china/market/070328_shigoto/

中国は今がまさに「高度経済成長期」というところなのでしょうね。

◇「仕事のために家庭を犠牲」は6割が不賛成、若い世代に強い嫌悪感
◇会社への不満上位は「収入」「賃金制度」「福利厚生」「能力発揮機会」

このあたりは日本と共通する傾向ですが、異なるのは転職に対する意識でしょう。

「不満が多い給与面について、どのような給与体系がいいと思うかを尋ねたところ、51.6%が能力格差型、33.4%が業績格差型と答え、年功序列型は少数だった。」

また、「仕事に不満がなくても転職や独立をしたいか」との質問に対し、全体平均では63.9%が「賛成」であり、賛成しない人は15%を切っています。「・・・ステップアップを重視した人生設計の中では、むしろ転職は積極的に受け入れられている」

中国の雇用モデルは、「終身雇用」「年功賃金」を志向する日本よりも、「キャリアアップ型」「成果主義型」を志向するアメリカの雇用モデルに近いと言うことができそうです。

日本人の仕事観、生活観-勤労意識はどう変化したか

労働政策研究・研修機構の公開している特集です。

■特集・日本人の仕事観、生活観-勤労意識はどう変化したかhttp://www.jil.go.jp/kokunai/blt/bn/2005-5/index.htm

■日本人の仕事観、社会意識の変化http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/bn/2005-5/p2-8.pdf

この統計調査を見ていると、日本では「終身雇用」「年功賃金」への支持率がいまだに約七、八割を超えていることが分かります。むしろ「ここ五年間では、日本雇用慣行の柱である「終身雇用」、「年功賃金」を支持する割合は上昇傾向にある」とのこと。
これは、労働市場における「非正規社員」や「派遣労働者」の増加傾向とは全く逆の雇用モデルを、労働者である国民が志向していることを伺わせる結果となっています。

また「望ましいキャリア形成」についての統計調査結果も興味深いものになっています。

◇1つの企業に勤め上げたい人=42.9%(+) 
◇複数企業を渡り歩いてプロになりたい人=26.1%(-) 
◇いずれ独立して働きたい人=13.3%(-)

「就職して3年以内に3割の若者が辞める」と言われている時代にこの偏りっぷりは少し意外でした。
「1つの企業に勤め上げたい人」がいまだに約半数近くいるのですね。
一方で「いずれ独立して働きたい人」が13.3%しかいないといのも驚きです。
ちなみに「国際競争力年鑑2005」では〝競争精神〟において、日本は60ヶ国中59位という結果になっていますが、それを裏付けるような統計結果ですね。

これらの結果への良い/悪いという評価は置いておくとして、日本という国にはアメリカやヨーロッパとは異なる就業への価値観が依然として健在していると言うことは可能でしょう。
労働市場の急激な流動化に対して、労働者である国民側の意識は非流動的であり、むしろ昨今ではその意識が保守化する傾向にある、と見ることができます。

「仕事への不満」で国際意識調査 1位はフランス

労働意欲の低さでは日本が最下位なんですね。
オランダは労働意欲の高さが一位、総合的な不満の低さでも上位、と国民の労働への満足度が高いことが分かります。
『日本のニート・世界のフリーター』の著者・白川一郎さんは、日本がオランダの労働モデルを参考にすべきだという提言をなされていますが、その主張がこの統計調査でも裏付けられるかたちになっているのではないでしょうか。

http://www.cnn.co.jp/business/CNN200705200009.html
「仕事への不満」で国際意識調査 1位はフランス
2007.05.20Web posted at: 12:29 JST- CNN/REUTERS
ロンドン――報酬や勤務時間などで仕事に不満を抱いている労働者の割合は、世界各国のうちフランスで最も大きいことが、このほど実施された国際意識調査で明らかになった。
報告をまとめたのは、英市場調査会社FDSインターナショナル。調査では、世界23カ国で18歳以上の企業従業員ら計1万3832人に、それぞれの仕事の「報酬」「生活費に対する実質所得」「私生活への影響」「週平均勤務時間」などに不満を持っているかどうかを尋ねた。
その結果、総合的に不満を持つ人の割合が大きかったのはフランスで、2位には英国とスウェーデンが並んだ。4位は米国だった。反対に不満が小さかった国はオランダ、タイなどで、アイルランドが最小だった。
項目別に見ると、「休日が少ない」との不満を抱く人は英国に最も多く、37%に達した。英国人が年間に認められる有給休暇や祭日は、平均33・5日。一方、年間の休みが29日にとどまるアイルランドで、これを不満とした人の割合は13%にすぎなかった。
また、報酬に対する不満が大きかったのはロシアで、割合は61%に上った。中国で報酬を不満とする労働者は43%、米国では38%だった。
日本は、労働者の意欲の低さが目立った。調査によると、労働意欲が最も高い国はオランダで、2位がタイとアイルランド。最下位が日本だった。
FDSのシャーロット・コーニッシュ氏は、「経済的に恵まれている欧州諸国や、生活費に対する所得水準が目立って高い米国などの方が、労働者の不満が大きいという結果が出た。興味深い傾向だ」と話している。

ブログ設立の趣旨

我々は成熟社会を生きています。

成熟社会とは「物質的な豊かさ」が達成され、「自由と平等」に対する社会的な諸制度が(形式的には)成立している社会を指します。

物質的・形式的には豊かな社会に暮らしている私たちは本来的な意味で「豊かに」生きているでしょうか?

成熟社会における本当に「豊かな生き方」とは何か?
成熟社会において本当に「豊かに生きる」ために、我々はどのように行動すべきか?
どのように社会を変えていくべきなのか?

そのような問題点をこのブログを通じて考えていきたいと思います。