マルクスの生み出した「疎外」という概念は、今日の労働市場を考えるうえで未だに有効なツールである。現代の労働者から「希望」を奪っているもの、それがまさに「疎外」だからである。
「モノの豊かさ」が達成された成熟社会において、「働くこと」は単に生活費を稼ぐための手段であるだけでなく、我々のアイディンティティや「生きがい」を形成する重要なツールである。
しかし「労働」がそのようなツールとしての役割を十分に果さず、ただの無意味な苦役であると感じられてしまうとき、そこに「未来への希望」が見いだされないとき、人々は労働から「疎外」される。
これは現在多くのフリーターや派遣労働者が陥っている苦しみに満ちた状況である。
このような状況をいかに乗り越え、すべてのタイプの労働者にとって幸福な労働環境を作り出せるか、これが現代の日本にとって課せられた課題なのである。
以下に仲正昌樹による「疎外」についての解説を引用しておく。
仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想』(NHKブックス)より
「疎外」とは、若きマルクスがパリ滞在中に執筆した『経済学・哲学草稿』の第一草稿に属する「疎外された労働」に出てくる概念である。
マルクスにとって、人間の類型本質は「労働」にあるが、アダム・スミス以来の国民経済学が前提にしていた資本主義的生産体制においては、労働者が自らの類型本質を投入して生み出したはずの「労働生産物=商品」が、労働者に対して「疎遠frend」なもの(=他人のもの)として現われてくる。具体的には、労働の結果が資本家と言う他者によって搾取されるということだ。
それによって、労働者は自己の類型本質である「労働」から「疎外」されることになるし、労働者を使用して「商品」を手に入れている資本家っも、自ら「労働」していないという意味で、やはり類型本質から疎外されている、と言える。
結局、資本主義的生産体制が続く限り、すべての人が類型本質から疎外されることになる。
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