2007年10月13日土曜日

偽装雇用について

2006年10月6日、朝日新聞は朝刊一面トップで、「日野自1100人偽造出向」の見出しで、東京労働局が同社を職業安定法で行政指導していたと伝えた。
実態は派遣労働者である1100人を、派遣会社と出向契約を結び、出向社員に見せかけて働かせているのは職業安定法が禁じる労働者供給事業にあたるとして、同年7月26日に文書で是正指導したというのである。出向社員として偽造された派遣社員の数は、本社工場(東京日野市)で300人、羽村工場(東京都羽村市)と新田工場(群馬県太田市)で800人の計1100人に上り、派遣会社は14社にのぼった。

労働者派遣法では、製造業の派遣労働に期間制限を設けている。少しでも人件費コストを下げたい製造メーカーからすれば、正社員を雇うより派遣社員を使ったほうが、賃金は半分以下ですむし、必要な人員調整も思うがまま。企業にとって、安く使い捨てにできる派遣社員はこのうえなく魅力的だ。そうであるだけに、かりに派遣社員が無条件で使えるとしたら、どのメーカーも正社員リストラを一挙にすすめ、製造現場にいるのは派遣社員ばかりということになりかねない。
そこで労働者派遣法は、派遣社員を受け入れる場合の制限期間を設けている。製造業においては、2004年3月の改正から07年2月までは、一つの職業の同じ業務について派遣社員を受け入れることができる期間は一年間に限定された(07年3月からは3年間)。しかも、この制限期間を超えて引き続き派遣社員を受け入れようとする場合は、派遣社員に対して「直接雇用」の申し込みを行うことを派遣先メーカーに義務づけている。派遣労働はあくまで「臨時的、一時的」というのが法の建前なのだ。

この「直接雇用」の申し込み義務を免れるために横行したのが「偽装請負」だった。御手洗冨士夫日本経団連会長が会長を務めるキャノンをはじめ、松下、東芝、日立といった日本を代表する大企業がこぞって脱法雇用に手を染めていた実態が、2006年夏以降、次々に明らかになった。

日野自動車の「偽装出向」もこの「偽装請負」と基本的には同じ目的の脱法行為だ。出向といえば、一般的には企業グループ間の技術交流や生産調整のための応援を目的におこなわれる。労働派遣以外には本業をもたない派遣会社から製造メーカーに労働者を出向させることなどありえない。それにもかかわらず、派遣社員を「出向社員」として受け入れる契約を結んでいた行為を指して、東京労働局は職業安定法に違反するとして是正指導をしたのだった。

2007年10月11日木曜日

日雇い派遣を生み出した労働者派遣法の規制緩和

労働者派遣法は1985年に成立、翌86年の施行された。
当初は、職業安定法で定める「労働者供給事業の禁止」の例外として、常用雇用の代替とならないよう、職業の専門性・労務管理の特殊性を考慮して派遣できる業務(適用対象業務)を限定してスタートした。
法律制定時の適用対象業務は13業務。半年ほどすると、政令の改正により3業務が加えられ16業務に。その後、法改正を繰り返すも適用対象業務は16業務という状態が長く続いた。
しかし労働者派遣法は、バブル経済崩壊後の規制緩和の影響をまともに受け、1996年の改正で26業務まで拡大する。さらに1999年の改正では適用対象業務に対する考え方を180度転換。ネガティブリスト方式という方法で派遣できない業務を定め、それ以外のすべての業務で派遣を可能とする完全自由化へと大きく変貌を遂げた。
労働者派遣が禁止された業務は、「建設業務」「警備業務」「港湾運送業務」「医療関係業務(一部は可)」、そして製造ラインなどの「物の製造の業務」だ。しかし「物の製造の業務」は2004年に解禁され、派遣が可能になる。
このように雇用対象業務の自由化を受けて、人材ビジネスは急速に拡大していった。

厚生労働省が発表した「労働者派遣業務の平成十七年度事業報告の集計結果」をみると、対象業務が自由化される直前の1999年度での派遣労働者数は90万人、常用換算で31万人。これが2005年度にはそれぞれ255万人、124万人に達している。

日雇い派遣業界の実態

いつでも誰でも登録ができ、仕事の情報はケータイ電話のメールに送られる-。
一見、便利な働き方のように見える日雇い派遣。しかし、その多くは重労働にもかかわらず日給6000~7000円程度。このため毎日一稼動で一ヶ月20日働いても月収で12万~13万円程度にしかならない。一日二稼動、三稼動をこなせば、20万~30万円程度になるが、それができるのは体力のある若者に限られる。しかも仕事がない期間もあるため収入は安定せず、年収300万~400万円を維持するのはかなり難しい。
とても、労働基準法で定められた「人たるに値する生活を営むための必要を充たす」働き方とは言えない。
加えて、日雇いという究極の不安定雇用。一定期間同じ派遣先で働く「定番」であっても、必要がなくなればいつでも簡単にクビを切られてしまう。6ヶ月以上同じ派遣先で働き続けたので、有給休暇を申請したらクビを切られたというケースもある。
そればかりか、強制された集合時間からの賃金が払われないうえに、遅れればペナルティとして罰金をとられる、時間外・休日の割増が支給されない、200~300円の不可解な賃金控除をされる、登録時には備品等が押し売りされる――と違法だらけだ。
まさに究極の雇用の劣化。ワーキングプア、ネットカフェ難民を生み出す温床ともいえる働かせ方だ。
こうした働かせ方を可能にしてしまったのは、規制緩和の流れを受けた1999年の労働者派遣法の「改正」による。

派遣という働き方

派遣という働き方は、本来同一であるはずの「雇う人」と「仕事を与える人」が違うという特殊な雇用形態だ。つまり、雇用契約を結び給料を払ってくれるのはAという会社だが、働く場所と仕事の指示はB社という具合である。

また、違法ではあるが、派遣された会社からさらに別の会社へ派遣されるいわゆる二重派遣が行われるケース、またさらに別の会社といったような三重派遣なども少なくない。これでは自分が誰に雇われているのか、誰が給料を払っているのかわからなくなったとしても無理はない。このような働かせ方は、中間搾取いわゆるピンハネが行われたり、雇う側の責任があいまいになるということで、職業安定法で禁止されていた。

しかし、1985年に成立した労働者派遣法は、この職業安定法で禁止されていた労働者供給事業を労働者派遣に限りその規制から除外し、これを認めた法律である。当初は専門性の高い職種に限定されていたが、度重なる改正で今ではいくつかの禁止対象業務以外は労働者派遣が認められるようになった。

このような流れのなかで広がったのが、日雇い派遣だ。

労働者派遣は、そもそも臨時的・一時的に利用されるものであって、人件費コストの削減のために利用されるべきものではない。しかし、実際のところ企業は人件費コスト削減のために労働者派遣を利用しているのが現実だ。

また、使用者の責任を回避するのにも非常に使い勝手がいい。直接雇うと社会保険などを会社が負担しなければならないし、なによりクビにするときの手続きが面倒だからだ。その使い勝手のいい究極の形が、日雇い派遣なのだ。

2007年7月14日土曜日

他者からの承認について

『倫理としてのナショナリズム』佐伯啓思(NTT出版)

今日、人が求めているのは、決してコスト競争に勝ったグローバルな大量生産商品などではないし、「価格破壊」された商品を買い込むことでもない。

ゆとりをもった、他者と共有できる時間、共同の活動への参加、かけがえのない価値を実現するための共同作業、そして、こうした信頼できる他者との交わりの中で得られる敬意や承認、こうしたものである。

他者から承認を得、是認され、そしてできれば敬意を払われること、およそ「善き生」はこうした条件を離れてはありえない。独我論的で主観主義的自由の中には、「善き生」はありえない。 「善き生」は信頼できる他者との共同の活動の中からしか出てこない。

・・・今日、重要なことは、他者からの確かな是認を得ることである。 そして、われわれの社会は、様々なレベルでの「共同のつながり」を持っている。 家族や友人の集まり、自発的な集団、クラブ、地域コミュニティ、企業組織、学校、NPOネットワーク、宗教的集まり、そして国家である。

こうした、多様な次元において、開かれた集団のもつ共有価値があり、諸個人は、この価値にコミットすることによって多様な「共同のつながり」に属している。これらの「共同のつながり」へ参加できる機会を確保し、その場を設定し、そこで一定の役割を果すことで、敬意をもって他者と交わることができる。

消費資本主義がもたらす「働きすぎ」

『働きすぎの時代』森岡孝二(岩波新書)より

ショアは『働きすぎのアメリカ人』において、アメリカにおける長時間労働の実態と原因を明らかにして、1930年代以来長らく忘れられてきた労働時間論議に火をつけた。ショアによれば、アメリカ人が働きすぎになった背景には、「働きすぎと浪費の悪循環」ともいうべき「ワーク・アンド・スペンド・サイクル」(work and spend cycle)がある。

ショアが労働に対応する消費の面からこのサイクルを論ずるために著したのが『浪費するアメリカ人』である。アメリカ社会に出現した「新しい消費主義」を主題にしたこの本では彼女は現代を「消費社会」あるいは「消費資本主義」ととらえ、その原動力を消費の競争的性質に求めている。

彼女が説いているように、資本主義の発展にともない勤労大衆の所得水準がある程度向上し、中流階級を中心に大衆購買力が形成されるようになると、消費を自己目的とする浪費的なライフスタイルが大衆的減少となり、消費資本主義が誕生する。このような意味での消費資本主義はアメリカでは1920年代に、日本では1960年代に現れた。

ショアの説くところでは、人々は消費において、他人と比べ、他人と張り合い、他人に誇示する。
消費のこうした側面については、金持ちの「見せびらかし消費」(衒示的消費)を論じたヴェブレンの『有閑階級の理論』でも取り上げられていた。

・・・こういう消費環境においては、人びとは、質素な生活をもってよしとせず、欲しいものをできるだけ手に入れるためには、仕事はきつくても、労働時間は長くても、残業や掛け持ち仕事をしてでも、できるだけ多くの収入を得ようとする。

ニュー・エコノミー「勝利の代償」

『働きすぎの時代』森岡孝二(岩波新書)より

ニュー・エコノミーは、人々を長時間労働に駆り立てる要因に満ちている。
ライシュによれば、ニュー・エコノミーは、すさまじいスピードの技術革新のもとで不安定性と激しい競争を前提にしている。消費者をつかむ鍵はスピードにある。人々は顧客を維持するためにも、スピードについていくためにも、コストを引き下げるためにも、より長時間、よりハードに、そしてパートや派遣などのより不安定な身分で働くように仕向けられる。
より良いものを、より速く、より安く手に入れるための消費者の競争も、同様の理由で労働の長時間化と雇用の不安定化を引き起こしている。


『成長経済の終焉』佐伯啓思(ダイヤモンド社)より

・・・「すばらしい取引の時代」ではないか、とライシュは述べる。だが、その代償は何か。
まず雇用が不安定となり、貧富の差が拡大した。特に売り込むべき何も持たないものは、世界の低賃金労働と競争するために、以前より賃金は下がり、以前の生活を維持するためにはいっそう働かなくてはならなくなった。
そして、彼らよりはるかによい報酬を得ている大卒の知的専門家もさらに忙しくなった。彼らは絶え間ない技術の革新と市場の開拓に終われ、ひとたびこのゲームから降りるや否や、もはや再び以前の地位や所得を手に入れることはできないからである。
かくしてアメリカ人の平均労働時間は、いまやヨーロッパ人を年間で350時間も上回り、かの「働きすぎ」の日本人をも上回っている。・・・

で、その結果どうなったか。家族が共に過ごす時間がなくなってゆく。子どもたちは大人とは異なったルールで彼らだけの世界を作る。一つの家族なり社会のモラルや価値が失われてゆく。さらに地域コミュニティが崩壊してゆく。アメリカのよき伝統のひとつであった様々な人々が入り交じり、ボランティア活動が可能であった地域のコミュニティが解体してゆく。

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我々が利便性を求めたすぎたあまり、社会が「ゆとり」を失ってしまったと多くの人が感じているのではないでしょうか。ファストなものを求める方向に行き過ぎた社会を少し元に戻そう、という動きが強まっているように感じます。
「消費者」はすなわち「労働者」でもあります。神経症的に便利さやスピードを求めると、結局それは自分自身の首を締めることにつながってしますはず。
本当の豊かさとは何か。便利さとゆとりとのバランス均衡点はどこにあるのか。
その答えを我々は探してゆかねばなりません。